60年代〜コピーライターが輝いていた頃のマーケティング事情。

80年代中頃、コピーライターって文章を書いてお金をもらう仕事だと思っていたのですが、80年代後半、コピーライターになってみると、実際にはモノやサービスをターゲットに伝え、流通させる仕組みをつくり、その仕組みを言葉によって機能させることがコピーライターの仕事でした。

その「仕組み」というのが、マーケティングになります。

60年代にアメリカから輸入されたキャッチコピー×グラフィックデザインという

広告制作手法は、同時に輸入された“マーケティング”という概念を実践するためのひとつの手段だったのです。

市場動向・ターゲット動向・競合動向等を分析しそれをもとに様々な仮説を立ててながらターゲットや市場へアプローチするためのマーケティング戦略を立案。

その戦略に添って媒体を選定するとともに、広告表現に展開するためのコミュニケーションコンセプトをつくり、さらにそれを様々な切り口で

コピーやビジュアルに展開していく…

かなり乱暴ではありますが、このフローに添って全てを最適化していくのが広告制作の仕事です。

なのですが、当時の日本は高度なマーケティング戦略なんてなくてもそれなりにモノが売れる時代でした。

そもそもアメリカでマーケティングが進んだ理由として、人種も、宗教も、肌の色も、まったく違う人たちが一つの国に暮らしているという背景があります。

だからターゲットやエリアによるセグメント(分類)をしっかりとしておかないと、例えば黒人が多く住んでいるエリアに白人モデルの広告を出してもマイナスの効果しか生まれない。

マーケティング戦略をきちんと立てて、広告効果の効率化を図る必要が第一義としてあったわけです。

日本はどうかというと、単一民族で宗教の影響もさほどなく、一億総中流時代。ターゲットは年齢と性別くらいの属性で分類可能。

市場動向は分析するまでもなくどの業界も右上がり。

媒体はテレビ・ラジオ・新聞・雑誌、4種類の組み合わせ。

もちろんマーケティング戦略の立案は重要事項ではありましたが、どの企業もやっていることはだいたい横並び。

その中でいかにして目立つか。

だからこそキャッチコピー×グラフィックデザインという“クリエイティブ”での差別化が力を発揮したのです。

しかし“クリエイティブ”の力はバブルとともに弾け飛んでしまうことに。

コピーライター3年目のことでした。

〈続く〉

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