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仲畑貴志のコピー「東京、カッペね。大阪、イモね。」には続きがあった。

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1982年11月、横浜駅前の横浜岡田屋が、横浜岡田屋モアーズにリニューアル。

1980年代の横浜駅周辺は、高島屋を筆頭に、三越(現:ヨドバシカメラ)、ルミネ横浜、横浜シャル(閉店)、相鉄ジョイナス、ダイヤモンド地下街という、百貨店・専門店ビル(専門店街)が立ち並び、一大ショッピングタウンを形成していました。

栄えているのは西口だけで、東口には、倉庫と市場と、全くテナントが入っていない廃墟同然のスカイビルしかありませんでしたが。

ちなみにスカイビルの一番上の階にはビリヤード場があって、そこにはプロビリヤード選手のミスターポケットこと奥村健や、ビリヤード界のアイドル的存在だった三浦陽子が出入りしていました。

その中で、横浜岡田屋は半分百貨店、半分専門店という、他の商業施設とはちょっと変わった形態で営業していたのですが、残念ながら西口で一番ひなびた商業施設でした。
子供の頃は、デパートに行くというと、屋上に遊園地があった横浜岡田屋に行きたがったものですが、建物もテナントも時代遅れ気味で、帝都無線やアニメイトといったコアな専門店以外は、全く集客力を失っていました。

そこで生まれ変わりを図り、1982年11月、横浜岡田屋から、最新のトレンドショップを揃えた先鋭のファッションビル、横浜岡田屋モアーズへと一大リニューアルを遂げたのです。

その後1985年には、横浜五番街を越えた南幸橋の先、ちょっと外れにあったショッピングセンター・ニチイが、ファッションビル・横浜ビブレ21(現:横浜ビブレ)にリニューアル。さらに東口も開発が進み、横浜そごうと横浜駅東口地下街・ポルタが誕生。

バブル前夜のことでした。

 

仲畑貴志、名作コピー登場。

 

横浜岡田屋モアーズ、リニューアルオープン。

広告のキャッチコピーを書いたのは仲畑貴志

ファッションビルとはいえ、あまりパッとしない神奈川ローカル。
そこに仲畑貴志という、当時糸井重里と一・二を争う腕を持ち、それだけにバカ高い制作費がかかるコピーライターをキャスティングしたのは、モアーズの経営者の広告に対する強い思い入れがあったようです。

そこで生まれたコピーが、

東京、カッペね。大阪、イモね。

横浜は西洋人が多く出入りした港町だがら。文明開化の昔から、街並からして異国情緒で。ハンバーガーやそんなもん昔っから食べてて。それをお洒落と騒ぐ東京なんて、田舎者じゃんよーと横浜育ちは深く思っている…。そんな「横浜一番」たちを心底喜ばせたのが、この「東京、カッペね。大阪、イモね。」のデパート広告。横浜の岡田屋という地元老舗デパートが、モアーズと名前を変えて新たにオープンしたときのコピー。語尾の「ね」が効いてますよね。悪口なのに愛嬌です。愛嬌はIQ。仲畑さんは語尾の達人ですね。日本のコピー史上、いちばん悪態をつきながら賞賛されたコピーではないでしょうか。 安藤隆

生粋のハマっ子にとっては、東京・大阪なんてそもそも眼中にないので、「東京、カッペね。大阪、イモね。」なんて、まったく思ったことがありません。
とはいえ、当時横浜に憧れを持って引っ越してきた地方からの流入者が4分の1を超えており、そんな彼らのブランド心をくすぐる、横浜のステイタスをうまく捉えたコピーとしてヒット。
テレビのニュースでも大きく取り上げられ、広告効果も上々でした。

 

1997.10.1 MORE’S CITY OPEN 

バブルがはじけ、百貨店や専門店ビルからの客離れが止まらなくなった1990年代。
郊外型の大型ショッピングセンターが主流になりはじめ、大規模小売店舗法が廃止され、大規模小売店舗立地法が制定された2000年以降、専門店やアミューズメント施設を複合した大規模なモール型ショッピングセンターが台頭してきます。

その時代の狭間をぬった1997年10月1日、横須賀中央駅前に、MORE’S CITY横須賀がオープン。
すでに駅前にはさいか屋や丸井、少し離れた汐入にはショッパーズプラザ横須賀という競合店が存在していました。
ショッパーズプラザ横須賀は1991年にできた比較的新しいショッピングモールだったのですが、さいか屋や丸井(2002年閉店)は時代に取り残されており、横須賀中央の街は、流行に乗り遅れ気味だったのですが、そこに160の専門店と12のレストラン+ガーデンテラスレストランを備えたMORE’S CITYが誕生したことで、人の流れが変わり、街は大きく活気付きます。

MORE’S CITY横須賀の一連の広告に関しては、横須賀というローカル都市への出店ということや、景気低迷期に広告費はあまりかけられないということで、さすがに仲畑貴志に依頼はしていません。

MORE’S CITY横須賀オープン時のコピーは、

 

ヨコスカ・ヴァージン

 

 

mores

 

新聞・ポスター・ラジオ・チラシ、そして館内放送でも、ヨコスカ・ヴァージンというコピーが連呼されていました。

開国のまち・横須賀が初めて体験する、魅力的なテナントをラインナップした新しい商業施設。
オープン時は予想を超える大盛況で、その後のプロモーションにもかなり力を入れていました。

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ヨコスカ・ヴァージン

というコピー、ローカル過ぎて誰もしらないと思いますが、

東京、カッペね。大阪、イモね。

を受けて、横須賀にて広告展開をしていたのです。

 

そして横浜岡田屋モアーズのいま。

横浜岡田屋モアーズは、その後数回のリニューアルを重ね、2008年には、横浜モアーズとしてリニューアルオープン。以来広告制作はサン・アドが担当しています。
開高健柳原良平山口瞳、葛西薫、野田凪といった超一流のクリエイターが在籍してきた、サントリー系列の広告プロダクション。仲畑貴志も、もちろんサン・アド出身です。

エム~チョというキャラクターまで作って、かなり力を入れてプロモーションを展開。現在もエム~チョをメインに、プロモーション中です。

 

広告は、消費されてなんぼ。

というわけで、過去の広告のほとんどは、誰の記憶にもありません。
キャッチコピーやグラフィックデザインは消耗品。語り継ぎ、後世に残すものではないのです。

その中でも仲畑貴志は、語り継がれてしまった名コピーをたくさん残しています。

知性の差が 顔に出るらしいよ ……困ったね。
(新潮社 新潮文庫)

おしりだって、洗ってほしい。
(TOTO ウォシュレット)

ベンザエースを買ってください。
(武田薬品工業 ベンザエース)

目の付けどころがシャープでしょ。
(シャープ)

愛とか、勇気とか、見えないものも乗せている。
(九州旅客鉄道)

好きだから、あげる。
(丸井 1980年キャンペーンCM)

すべて一世を風靡したコピーなので、聞いたことがあるコピーもいくつかあると思います。
でも、もはや次の世代には受け継がれていくことはないでしょう

売るのはコピーでもコピーライターでもなく、商品だから。
それがコピー&コピーライターのあるべき姿だと思っています。

その瞬間だけ心に引っかかるコピーを、ずっと書き続けていきたいと思っています。

 

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