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黒澤明の映画、全30作品。「羅生門」も「七人の侍」も日本の誇り。

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スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラ・・・世界中の映画人に影響を与えた巨匠、世界のクロサワ。
60年以上の時を経て、2017年には、「七人の侍」のリメイク版、「荒野の七人」をさらにリメイクした「マグニフィセント・セブン」が公開されます。

半世紀以上前に、宮崎駿の世界的な評価なんて軽く超越している、日本が世界に誇る映画監督なのに、今ではすっかり過去の人。日本での評価は今ひとつです。

私がリアルタイムで黒澤明に触れたのは今から36年前のこと。
地元の映画館で「影武者」を見たのですが、13歳の私には、その良さがまったくわかりませんでした。
黒澤明は、モノクロの頃の作品の評価はものすごく高いのですが、「乱」「夢」「八月の狂詩曲」、遺作となる「まあだだよ」まで、後期の作品はかつての輝きを放つことはなく、いずれも海外での評価は高いものの、日本での評価は圧倒的に低いのです。

とはいっても黒澤明の映画の素晴らしさを知らないのはもったいない。
宮崎駿が世界でどれだけ評価されても、黒澤明の足元にも及びません。

世界が絶賛して止まない黒澤明の世界。

あなたの新しい映画体験のきっかけになれば幸いです。

Contents

第1期

デビュー作から、まだまだ若かりし頃の作品。
「黒澤明ってこんなものなのか」と、まだまだ本領が発揮されていない作品ばかりなので、ここから見はじめるのはオススメしません。
当時の日本の様子が楽しめるのは一興です。

姿三四郎

1943年3月25日公開/矢野正五郎=大河内伝次郎、姿三四郎=藤田進、小夜=轟夕起子、お澄=花井蘭子、檜垣源之助=月形龍之介、村井半助=志村喬

柔術を志す姿三四郎が修道館へ入門し、ライバルたちを投げ飛ばしていく・・・講道館の四天王の一人、西郷四郎をモデルにした、柔道を扱ったスポ根もの。
矢野正五郎は講道館館長の嘉納治五郎にあたります。
ラストの決闘シーンまで飽きずに見られますが、今となっては特筆すべき演出やストーリーはありません。
娯楽の少なかった昭和18年当時には大ヒットした作品です。

すでに1作目から、黒澤明の映画に欠かすことのできない志村喬の姿を見ることができます。

一番美しく

1944年4月13日公開/渡辺ツル=矢口陽子、水島徳子=入江たか子、石田五郎=志村喬、坂東峰子=萬代峰子

第二次世界大戦中、レンズ工場に配属された数十人の女子挺身隊。
精神力で増産成績を伸ばしていく中で、隊員たちの間に誤解と不信感が生まれ、さまざまなトラブルに見舞われるものの、話し合いと不屈の精神でそれを乗り越えていくという、日常生活を通して戦争を描いたセミ・ドキュメンタリー。
黒澤明らしく、工場で働いている少女たちを、芝居としてでなく、実際に働いている工員として撮るために、女優としての自意識をすべて捨てさせて、素のままの少女の姿に戻すことに腐心したそうです。
そのためかどうか、女優としての仮面を剥がされてしまったこの映画に出演している女性たちは、ほとんどが女優を辞めて結婚。
この映画に出演した元SKD(松竹少女歌劇団)の矢口陽子も、翌年の45年に黒澤明と結婚しています。

横浜市戸塚区の開かずの踏切がロケで使われていますが、70年の月日を経て、2015年にアンダーパス(地下車道)が開通し、踏切は閉鎖されてしまいました。

続姿三四郎

1945年4月26日公開/姿三四郎=藤田進、小夜=轟夕起子、檜垣源之助=月形龍之介、矢野正五郎=大河内伝次郎、津崎公平=宮口精二

外国人ボクサーとの異種格闘技戦を経て、雪の天狗峠での檜垣兄弟との決闘。
原作は格闘技マンガか・・・と思えるくらい、いまでも鉄板の要素が詰まった娯楽映画です。
その内容はどうかというと、黒澤明自身が「二番煎じで面白くなかった」と言ってしまっています。
黒澤明を何本か見て、コンプリートしたいという思いが生まれてから見て欲しい一本です。

虎の尾を踏む男達

1952年4月24日公開(1945年制作)/姿三四郎=藤田進、小夜=轟夕起子、檜垣源之助=月形龍之介、矢野正五郎=大河内伝次郎、津崎公平=宮口精二

歌舞伎『勧進帳』を題材に、義経・弁慶一行の安宅の関所越えを描いた作品。
台詞回しから役者の表情まで、舞台をそのまま映画にしたような演出で、黒澤明の映画に見られるリアリズムはまったくありません。
59分という、映画にしては短い上映時間と合わせて、映画というよりテレビドラマ的な印象。
個性的な役者がそろっていて、一人ひとりの演技が見どころです。

わが青春に悔なし

1946年10月29日公開(1945年制作)/110分/八木原幸枝=原節子、野毛隆吉=藤田進、八木原教授=大河内傳次郎、野毛の母=杉村春子、糸川=河野秋武、毒いちご=志村喬

戦争に反対する左翼運動家を好きになってしまったお嬢様が、人生に抗いながら自由を手にするためにたくましく行きていく姿を描いた反戦争映画。パン・フォーカスや光の加減等、カメラワークは凝っているのですが、演出と編集がちょっとくどいです。

今の常識の中では、戦前の空気やイデオロギーに対して感情移入できない上、原節子演じる幸枝の面倒臭い性格にイライラし通し。
なのですが、後半ようやく原節子に魂が入り、圧巻の展開を見せます。
私が生まれる4年前、1963年に引退し、2015年95歳で亡くなった昭和の大女優、原節子の魅力を知りたいならこの映画から。
原節子のお嬢様から野良着姿までの姿から、ありとあらゆる表情、感情表現が堪能できます。

素晴らしき日曜日

1947年6月25日公開/109分/雄造=沼崎勲、昌子=中北千枝子

敗戦直後の東京。二人会わせて35円しか持っていない貧乏カップルの週末デートを追った、不幸のエピソード集。
動物園に行けば戦争中に殺傷処分されていていて猛獣はいなくなっているし、途中で雨に降られるし、コンサートに行けばダフ屋に袋だたきにされるし、ろくな目に遭わない二人。
とはいえ当時の男女も、いまとあまり変わりない様子が伺えます。

ラストでヒロインがこちらに向かって話しかけてくるシーンがあるのですが、さすがにそこはちょっと見ているこちらが恥ずかしくなります。
劇場で見るとまた違った見え方になると思うのですけれど。

 

第2期

三船敏郎の魅力を見いだしたのが黒澤明なら、黒澤明の映画の魅力を引き出したのは三船敏郎。
ふたつの才能の出会いが、世界の映画シーンを大きく変えていくことになる、黎明期の作品たちです。

酔いどれ天使

1948年4月26日公開/98分/真田=志村喬、松永=三船敏郎、奈々江=木暮実千代、ぎん=千石規子、ブギを唄う女=笠置シヅ子

闇市の側で開業している飲んべえ医師(志村喬)の元へ、闇市で幅をきかせているチンピラ(三船敏郎)がピストルで撃たれたキズの手当にやって来る・・・。

静の志村喬と、動の三船敏郎、二人の役者がぶつかり合うことで、黒澤明の本領発揮。
中でも三船敏郎の、あふれんばかりのエネルギーに圧倒されまくりです。
役者、ストーリー、演出が三位一体となって、圧倒的な濃度を持った映画になっています。

静かなる決闘

1949年3月13日公開/藤崎恭二=三船敏郎、松本美佐緒=三條美紀、藤崎孝之輔=志村喬、中田進=植村謙二郎、峯岸るい=千石規子

悪性の梅毒患者を治療中に梅毒に感染してしまい、婚約者と婚約を解消。
さらに梅毒患者は忠告を聞かずに結婚してしまい、奥さんは子供を身ごもってしまうけれど、まともな子供が生まれず・・・。
酔いどれ天使で暴れまくった三船敏郎が、梅毒に冒される青年医師の葛藤を演じます。
設定は地味なのですがテーマはシビア。
タイトル通り、静かなる三船敏郎なのですが、それでも内から溢れ出るエネルギーは抑えられません。
その存在感は、前作よりも深みを増しています。

野良犬

1949年10月17日公開/122分/村上刑事=三船敏郎、佐藤刑事=志村喬、並木ハルミ=淡路惠子、ハルミの母=三好榮子、ピストル屋のヒモ=千石規子

新人刑事の村上(三船敏郎)はピストルを掏られ、ベテラン刑事の佐藤(志村喬)と組んで、ピストルの行方を捜すが、そのピストルによる殺人事件が起きてしまう・・・。
「三つ数えろ」「マルタの鷹」といったハードボイルドの名作のクールさとは逆に、映像の仕草一つ、吐息一つから、終戦直後の東京の暑苦しさが伝わってくるよう。
戦後の退廃した市井の中で、三船敏郎と志村喬が刑事のコンビとなって犯人を追い詰める。
刑事ものの鉄板パターンは、半世紀以上前に、すでに確立されていました。

醜聞(スキャンダル)

1950年4月30日公開/青江一郎=三船敏郎、西条美也子=山口淑子、蛭田正子=桂木洋子、すみえ=千石規子、蛭田乙吉=志村喬

新進画家と人気歌手が偶然同じ宿に泊待っていたのを、ラブロマンスとしてでっち上げたカストリ雑誌。
訴訟を起こすも弁護士は買収され、真実は闇の中へ・・・果たして正義はどこにあるのか?

ジャーナリズムのあり方という現代に通じる問題を取り上げていて、テーマもストーリーも演出もかなりベタ。
なので名作にはなりきれていませんが、いつの時代もマスコミの横暴さは変わらないんだなぁということが伝わる秀作。
特筆すべきは山口淑子(=李香蘭)の美しさ。さすがに彼女の人生の方が、映画よりも数段ドラマティックなのは仕方のないところです。

羅生門

1950年8月26日公開/多襄丸=三船敏郎、金沢武弘=森雅之、真砂=京マチ子、杣(そま)売り=志村喬、旅法師=千秋実

黒澤明の名前とともに、日本映画が世界で評価されていくきっかけとなった名作中の名作。
モノクロ映像の美しさを極めた当時は斬新だった撮影技法や、登場人物それぞれの証言が食い違う脚本の巧みさ、そこに描かれる人間の醜さ。
とはいえ、世界が絶賛するほど面白いかというと、そうでもない。
多分、「なんでこれが???」と思う人の方が多いのではないでしょうか。

私は最近の邦画をあまり見ません。そこに描かれているのは見たことのある風景ばかりで、テレビドラマとの違いはほとんどありません。
洋画なら、どんなにストーリーがつまらなくても、そこには見たことのない風景や文化が映っています。
韓国の食卓、パリの街並み、アメリカの田舎町・・・それだけでもビジュアルとして新鮮に楽しめます。

海外の人にとって、今よりも情報のない時代(1950年)、見たこともいったこともない極東のファッションや建造物や景色は、その斬新な映像手法やストーリーと相まって、相当刺激的だったのではないかと思います。

とはいえ、映画界への影響だけでなく、国際社会において自信をなくしていた日本が自信を取り戻すひとつのきっかけとなった、日本の歴史的にも大きな意義を持つ映画であることには間違いありません。

日本人なら、社会常識として必見です。

白痴

1951年5月23日公開/那須妙子=原節子、亀田欽司=森雅之、赤間伝吉=三船敏郎、大野綾子=久我美子、大野=志村喬

戦犯で処刑される寸前だった亀田は、そのショックで白痴になってしまいますが、赤ちゃんのような純粋な心の持ち主として、まったく正反対の乱暴者、赤間に気に入られ、さらに囲われものの那須妙子に愛され、世話になった家の娘にも愛され、それが4人の人生を大きく狂わせていきます・・・

原作はドストエフスキーの小説「白痴」。

もともと6時間近い長さだった作品を4時間25分まで短くし、さらに公開時に2時間46分に編集し直したということで、ナレーションや文字での説明が入り、それでも説明不足で消化不良を起こしています。

森雅之の白痴の演技や、原節子の演技も、見ていてちょっと白々しい。

公開時の評判も、あまり良くなかったそうです。

とはいえ映像は流石。豪雪の北海道でのロケは、終始圧巻です。

第3期

世界の黒沢・黄金期。
どれを見ても、いま見ても、全く色褪せることのない名作の数々。
黒沢明の映画のすごさ、面白さ、素晴らしさは、この時期の作品に凝縮されています。

生きる

1952年10月9日公開/143分/渡邊勘治=志村喬、木村=日守新一、坂井=田中春男、野口=千秋実、小田切とよ=小田切みき、小原=左卜全

胃がんを宣告された市役所勤めの課長は、余命を有意義に使う決意をする・・・。

志村喬がブランコを漕ぐ有名なシーン。そして「生きる」というあまりにも生々しいタイトル。
辛気くさい、道徳くさい、説教くさい映画なんだろうなぁと思って、ずっと敬遠していました。

冒頭でいきなり軽妙なナレーション。

構成の妙でいきなり物語に引き込まれ、志村喬の演技にさらに引き込まれ、知らず知らず映画の中に入り込んでしまいます。
あざとい演出や説明くさいシーンもありますが、それでもあっという間の143分。
自分の死期を知った男が、死ぬ前に生きがいを見つける。
見終えた後のカタルシス(精神の「浄化」)の度合いは、他の映画に類を見ません。

七人の侍

1954年4月26日公開/207分/島田勘兵衛=志村喬、菊千代=三船敏郎、岡本勝四郎=木村功、片山五郎兵衛=稲葉義男、七郎次=加東大介、久蔵=宮口精二、林田平八=千秋実

毎年のように野武士に襲われる村を救うため、7人の侍を雇った農民たち。野武士と侍、勝ったのは果たして・・・。

ダイナミックなカメラワーク、ど迫力のアクションシーン、徹底したリアリズム・・・映画の歴史を変えた一本なのですが、あらゆる映像表現が可能な今となっては、そこに圧倒的な凄さを感じることはありません。
この映画の本当の魅力は、個性豊かな登場人物たちと、その各々が紡ぎ出す練りに練られたストーリー。

最高に面白い。

けれど長い。

全編と後編、2部構成で、3時間を超える207分。疲れます。
いきなりこの作品から黒澤明の映画に入ろうとすると消化不良を起こすかも。

とはいえ、映画にまつわる数々のエピソードを知れば知るほど、その魅力は高まるばかり。
他の作品を何本か見て、黒澤明に心酔してから見て欲しい、脚本、役者、演出、カメラ、音楽…すべてにおいて完全無欠の映画がここにあります。

生きものの記録

1955年11月22日公開/中島喜一=三船敏郎、原田=志村喬、中島二郎=千秋実、山崎隆雄=清水将夫

鋳物工場を経営する財産家が、突然原水爆に対する被害妄想に陥り、頭がおかしい老人のレッテルを貼られて精神病院に収容されるという、かなりエキセントリックな内容。
1954年、ビキニ原爆実験による第五福竜丸の被曝を受けた、強烈な反原爆映画です。
齢35の三船敏郎が、70歳の老人を怪演しています。

半世紀を超えて、放射能の恐怖がより身近な現実になっているにもかかわらず、未だに風評被害だとか、放射能は安全だというウソがまかり通り、放射能批判をすると炎上し、社会から抹殺されるという恐ろしさ。
黒澤明の目は、時代を超えて社会を正しく批判しています。

蜘蛛巣城

1957年1月15日公開/110分/鷲津武時=三船敏郎、鷲津浅茅=山田五十鈴、小田倉則保=志村喬、三木義照=久保明、三木義明=千秋実

「白痴」に続き、世界文学を映画化した作品。シェークスピアの「マクベス」を原作に、能の様式を取り入れた幻想的で壮大なスケールで、心の底から圧倒されるシーンが展開されてきます。

・流産で発狂する山田五十鈴の鬼気迫る演技
・本物の矢を射られた三船敏郎迫真の演技
・富士山2合目に作られた蜘蛛巣城の大規模なセット
・CGのない時代に森を動カス、スペクタクルな演出

監督、役者、カメラマン、小道具、大道具、映画製作に関わった全ての人たちがギリギリまでしのぎを削った、その魂がしっかりと宿ったフィルムです。

どん底

1957年10月1日公開/110分/捨吉(泥棒)=三船敏郎、お杉(大家の女房)=山田五十鈴、妹 かよ=香川京子、殿様(御前)=千秋実、役者:藤原釜足

ゴーリキーの同名の戯曲を映画化。
ボロボロ長屋ワンセットで繰り広げられる、アル中で自堕落な貧乏人たちのヨタ話。
セットのリアリティが凄すぎ、一人一人の役者の演技が凄すぎ、貧乏感満載です。
そしてラストのどん底なのに、底抜けに明るい馬鹿囃子。自由奔放に紡がれるライム&フロウ&リズム、そしてダンス。そこに込められたアイロニー。
50年以上前に、ラップは日本で完成していました。

隠し砦の三悪人

1957年10月1日公開/110分/真壁六郎太=三船敏郎、太平=千秋実、又七=藤原釜足、田所兵衛=藤田進、長倉和泉=志村喬、雪姫:上原美佐

オープニングからエンディングまで、まんまスターウォーズです。こちらが本家ですが。
予定調和でありながらも、ハラハラ・ドキドキ・ワクワク、サービス精神に満ちたストーリー。
そして三船敏郎の体を張ったアクションシーン、雪姫の初々しい美しさと凛々しさ。
どこを取っても超一級のエンタテインメントです。
その割にあまり評価されていないのは、リメイクが駄作すぎたからでしょうか。

悪い奴ほど良く眠る

1957年10月1日公開/西幸一=三船敏郎、岩淵(日本未利用土地開発公団副総裁)=森雅之、岩淵佳子=香川京子、岩淵辰夫=三橋達也、守山(公団管理部長)=志村喬

公団と建設会社の贈収賄事件と、それに絡む人間の自殺。私怨のために、それを暴こうとする主人公。
結婚式の華やかなシーンからはじまり、生々しい人間の欲望、犠牲、純粋な愛。結局全ては本当に悪い奴の手のひらで動かされているだけという、あまりに後味の悪い映画です。

「人じゃない役人だぜありゃ。官僚機構の鋳型にはめ込まれたトンチキな生き物だ」(主人公の親友のセリフから)

半世紀以上経っても、世の中はまったく変わっていません。

用心棒

1961年4月25日公開/110分/桑畑三十郎=三船敏郎、新田の卯之助=仲代達矢、小平の女房ぬい=司葉子、清兵衛の女房おりん=山田五十鈴、造酒屋徳右衛門=志村喬

二人の親分が対立し、荒廃している宿場に、ふらりとやってきた浪人。一方の親分に自分を用心棒として売り込みつつ、宿場から悪人を一掃していく・・・。

ストーリーは単純明快、ヒーローもの鉄板の展開。
水戸黄門や桃太郎侍や遠山の金さん感覚で、サラっと見終えてしまいました。
おもしろかたけれど、名作っていうほどではないかなぁ。
というのが初見の感想。
その後、何本か黒澤明の映画を見て、その魅力に惹かれてから再見。
私の目は節穴でした。三船敏郎の演技、存在感、スゴ過ぎです。
世界中の映画人からリスペクトされていた理由がわかります。
日本映画、必見の一本です。

椿三十郎

1962年1月1日公開/96分/椿三十郎=三船敏郎、室戸半兵衛=仲代達矢、井坂伊織=加山雄三、見張りの侍木村=小林桂樹、千鳥=団令子、次席家老黒藤=志村喬

用心棒の続編。ほぼ同一人物と思われる浪人が主人公。
今度の舞台は地方の城下町。汚職を暴こうとする若侍に力を貸す椿三十郎。
三船敏郎が、さらに活き活きと演じています。
白黒なのに、なぜか色彩感覚鮮やか。
川に流れる花びらや飛び散る血しぶきに、色を感じることができます。
そんな映像演出のスゴさと相まって、物語の面白さ、三船敏郎の太刀捌き、一人ひとりの役者の演技まで、すべて上質のエンタテインメントに仕上がっています。

天国と地獄

1963年3月1日公開/143分/権藤金吾=三船敏郎、戸倉警部=仲代達矢、権藤伶子=香川京子、河西= 三橋達也、竹内銀次郎=山崎努

身代金目当ての子供の誘拐事件を描いたサスペンスもの。
豪邸のリビングで繰り広げられる、ヒリヒリとした密室劇から一転、犯人を追って、当時の横浜の風俗や風景を背景に、ものすごいスピードで物語が動きます。
そして二転三転の後のラストシーン。しばし呆然。私のクロサワ映画、開眼の瞬間でした。
伊勢佐木町、浅間台、黄金町・・・当時はまだ生まれていませんが、ロケ地のほとんどが私の生まれ育った横浜なので、馴染みの場所ばかり。
映画の中で捜査本部が置かれているのも、私の母校・横浜平沼高校です。

赤ひげ

1965年4月24日公開/185分/新出去定(赤ひげ)=三船敏郎、保本登=加山雄三、狂女=香川京子、佐八=山崎努

3時間にわたって繰り広げられる、黒澤明ヒュ−マニズムの集大成。
一つひとつのエピーソード、一人ひとりの人間が、リアルに、丁寧に描かれていて、その中心にどっしりと、三船演じる赤ひげという揺るぎない正義がある。
映画全編にわたる安心感・安定感は、黒澤×三船だからこそなせる技。隅々に至るまで、一切妥協のない、揺るぎない作品です。

 

第4期

カラー作品になってからのクロサワ映画は賛否両論、エンターテインメントから、その先の芸術的な世界へと足を踏み入れてしまい、素直に面白いといえる作品がありません。
純文学のように、分かれば面白いけれど、見る側にある程度の知識(インテリジェンス)を求めるものが多いような気がします。
いきなりこの頃の作品を見てしまうと、ちょっと取っつきにくく感じるかも知れません。

どですかでん

1971年1月21日公開/140分六ちゃん=頭師佳孝、おくにさん=菅井きん、沢上良太郎=三波伸介、沢上みさお=楠侑子、島悠吉=伴淳三郎

貧乏の最底辺の街で生きる人たちの、底抜けに救いのない貧困さを描いた、黒澤明初のカラー作品。
教養・道徳のない、ケモノギリギリの人間たちの姿は、それでも人として精一杯生きているんだという風に、肯定的に見ることはなかなか難しいのだけれど、そんな人間の本能を、黒澤明のやさしい眼で撮らえた一本。
フルカラーという新しい表現方法を手に入れた黒澤明は、フィルムをキャンバスのように塗りたくり、コントラストの強烈な色彩の世界を生み出し、不思議な街の景色に異彩を添えています。

デルス・ウザーラ

1975年8月2日公開/アルセーニエフ=ユーリー・ソローミン、デルス・ウザーラ= マクシム・ムンズク

地質調査のため、ウスリー地方にやってきたアルセーニエフは、シベリアの密林、厳しい大自然の中で、たった一人で暮らしている猟師、デルスを案内人としてやとう。

どですかでんの失敗で資金難になった黒澤明に手を差し伸べたのはソ連でした。
貧相な主人公にはじめは戸惑ったものの、物語が進むにつれ、主人公自身が大自然そのものとして輝き始めます。
全体的に地味な印象は拭えませんが、自然と文明との出会いを描いた、スケールの大きな映画となっています。

影武者

1980年4月26日公開/179分武田信玄/影武者=仲代達矢、武田信廉=山崎努、諏訪勝頼=萩原健一、土屋宗八郎=根津甚八、山縣昌景=大滝秀治 

「我もし死すとも三年は喪を秘し、領国の備えを固めゆめゆめ動くな」という遺言を残して落命する戦国武将・武田信玄。盗人を影武者として立てて取り繕おうとするのだけれど・・・

悠然と流れていく時の流れのなかで、翻弄されていく一人の影武者の生き様。
ひとつひとつのシーンが絵画の如く、美しい芸術。
まったく隙のない完全無欠の映画を目指した、黒澤明の到達点。
あまりにも美しすぎる滅びの美学。

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外国版のプロデューサーに、フランシス・コッポラとジョージルーカスが参加。
70歳にして、黒澤明の偉大さを世界に知らしめた超大作です。

とはいえやはり三船敏郎、志村喬のいない黒澤明の映画は、かつての輝きを失ってしまっています。

1985年6月1日公開/一文字秀虎=仲代達矢、一文字太郎孝虎=寺尾聰、一文字次郎正虎=根津甚八、一文字三郎直虎=隆大介、楓の方=原田美枝子

「リア王」をベースに、戦国の世の中で家督を譲られた3人の息子の争いと滅びを描く、影武者の流れを継いだ、歴史絵巻。
完全なる芸術作品の高みに達した、圧巻の映像美。
162分にわたる、一大スペクタクル。
巨匠としての風格がフィルムに刻まれています。

1990年5月25日公開/私の母=倍賞美津子、私(第3話 – 第8話)=寺尾聰、雪女=原田美枝子、ゴッホ=マーティン・スコセッシ、老人=笠智衆

狐の嫁入りをテーマにした[日照り雨]。桃の精に誘われる[桃畑]。雪女に遭遇する[雪あらし]。戦死した部下が蘇る[トンネル]。ゴッホの絵の中に入り込む[鴉]。原発が爆発し絶望的に逃げ惑う[赤富士]。核戦争後の世界を描いた[鬼哭]。美しい自然が残る村で葬列を見送る[水車のある村]。

美しく、恐ろしく、非現実的なさまざまな夢の風景。それがかえって力強いリアリティとなって、色彩鮮やかに、人の生き方を語りかけてきます。
ひとつひとつのエピソードが、当時の映像での表現技術の粋を極めた、シュールレアリズム的芸術作品。
すでに手遅れ感はありますが、時代への警鐘として核に対する批判も大きなウエイトを占めています。

八月の狂詩曲(ラプソディー)

1991年5月25日公開/鉦おばあちゃん=村瀬幸子、縦男=吉岡秀隆、たみ=大寶智子、みな子=鈴木美恵、クラーク=リチャード・ギア

長崎の原爆でおじいちゃんを亡くしていたおばあちゃんの家で夏休みを過ごしている四人の孫たち。そこへハワイから甥が訪ねてくる。
芥川賞作品「鍋の中」を原作とした、黒澤明の反戦、反核のメッセージが込められた作品。
さすがにちょっとメッセージ性が強過ぎ、エンターテインメント性がほとんどないので、文部科学省推薦映画のようになってしまっていますが、80歳を過ぎてまだなお、新しいものを生み出す力をもっている凄さに脱帽です。

まあだだよ

1993年4月17日公開/内田百閒=松村達雄、奥さん=香川京子、高山=井川比佐志、甘木=所ジョージ、桐山=油井昌由樹、沢村=寺尾聰

内田百閒の教師時代の教え子と、戦争中から戦後にわたる交流を描いた遺作。
全30作品の中で、唯一まったく受け入れられないのがこの作品です。所ジョージが出てきたら、どんな芝居をしても所ジョージにしか見えません。ストーリーも、もっと少し年を重ねたら分かるのかも知れないけれど、理解しがたいノスタルジックさ。悲しいかな、やっぱり時代遅れなのです。
老いても魅力的な香川京子を見られることだけが唯一の救いです。

黒澤明の復権は、もはや無理なのだろうか。

伊万里市の伊万里湾を望む公園の一角に建設する計画が1998年にスタート。当初は2000年秋に開館予定だったのですが、景気低迷などで建設が頓挫。2010年1月になって寄付金の大半が使い果たされていたことが発覚し、同年11月伊万里市への記念館建設はなくなってしまいました。その後、黒沢明の息子、黒澤久雄が理事長を務める黒澤明文化振興財団が約3億8000万円の寄付金の大半を使い果たしたことを陳謝。

本館が建設されるまで、監督が描いた絵コンテや生前愛用していたサングラスや帽子、米アカデミー賞受賞トロフィー等、黒澤明監督作品にゆかりの品々や遺品を展示していた「黒澤明記念館サテライトスタジオ」も2011年に閉館。

完全に親の顔に泥を塗り、黒澤明の名声は、国内では完全に地に落ちています。

「シン・ゴジラ」や「君の名は。」のヒット等、日本映画も元気ですが、それでも黒澤明が日本映画を通して世界に与えた影響には遥かに及びません。

このまま忘却されてしまうのは、あまりにももったいない。

あまり期待はできませんが、「マグニフィセント・セブン」の公開で、少しでも彼の作品に触れる人が増えることを望んでいます。

 

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