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雪竹太郎は野毛大道芸の象徴。人間美術館を見ずして大道芸を語るべからず。

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野毛、といえば居酒屋の町、古書店の町、Jazzの町、そして大道芸の町。

1986年から始まり、2016年4月23日・24日に41回を迎えた「野毛大道芸」は、日本に大道芸を根付かせるきっかけにもなった、元祖・町おこしイベントです。

数ある横浜市のイベントの中で、今では、観客動員数No.1にまで成長した「野毛大道芸」。
ジャグリング、パントマイム、マジック…
観客はもちろん、多くの大道芸人が、日本のみならず、世界各地から集まってきています。

その中でも、ひときわ異彩を放つパフォーマーが雪竹太郎です。

 

私にとっての野毛大道芸=雪竹太郎

20代前半、初めて行った野毛大道芸で見た雪竹太郎。
ちょうどその頃(1992年)、大道芸ワールドカップin静岡で初代ワールドカップチャンピオンを受賞して、少しだけメディアに取り上げられたこともあり、私にとって野毛大道芸を見にいくということは、雪竹太郎を見にいくということと同義語になってしまいました。

日本の大道芸人。「人間美術館」という題名で、自らの体、その場の景色や観衆までも用いて彫刻や絵画を表現する。
1978年、早稲田大学第一文学部入学、演劇専攻に進学。1982年、千葉大学教育学部に入学するも中退。1980年代後半より渋谷でパフォーマンスを始める。1992年には静岡市主催の「第1回大道芸ワールドカップin静岡」で初代ワールドカップチャンピオン(ワールドカップ部門とジャパンカップ部門のダブル受賞)となる。 現在もヘブンアーティストとして東京都内などの日本だけでなく世界を股に掛け活動している。
まだ、「大道芸人」という存在が認められていなかった当時から「大道芸とは何なのか、どうあるべきなのか」多数の文章を発表。世界中の街角に立ち続けた経験から、大道芸人の理論武装に取り組んできた一面もある。 wikiより

20年以上経った今でも、当時と変わらぬ姿のままで、磨き上げ上げてきた芸を演じてくれています。

 

雪竹太郎の芸「人間美術館」

img_1844雪竹太郎の芸

彼の芸は、その準備からはじまります。

 

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ゆっくりと服を脱ぎ、裸になって、身体を白く塗ります。

塗りにくいところはお客さんに頼んで塗ってもらう。

はじめて見た頃は、客いじりをしていなかったと思うので、芸も進化しているようです。

 

そして、「人間美術館」のはじまり、はじまり。

基本的には、絵画や彫刻といった世界の美術品の形態模写なのですが、ポーズからキメの表情まで、細かい動きのひとつひとつが、熟練された芸になっています。
そして形態模写のクオリティも、もはやそれ自体がアートといえるような肉体表現となっています。

 

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定番の考える人。あくまでも大道芸として、小ネタを挟んできます。

 

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金剛力士像。筋肉の張り方から指先まで、なるほどと思わせるポーズ。

 

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弥勒菩薩。表情のつくり方まで、説得力をもって模写しています。

 

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ゲルニカ。観客を巻き込んでの一大作品。一番右は娘です。

あなたはこの芸に、いくら投げ銭を入れられるでしょうか。

 

野毛大道芸には、本当に多くの芸人が出演しています。
有名人で私が見たことがあるのは、あらびき団でおなじみの風船太郎と、作家の筒井康隆。シルクドソレイユや中国雑伎団の舞台を踏んだ人も参加しています。

それでも、毎年見に行くことはなかなかできませんが、野毛大道芸を見に行くときは雪竹太郎メインでスケジュールを組んでいます。

野毛の大道芸、日本のヘブンアーティストの歴史に名を刻む雪竹太郎。

未見の方は、ぜひ42回野毛大道芸で、チェックすることをオススメします。

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