横浜最後の赤線、京浜急行途中下車。戸部駅〜金沢八景まで。
京浜東北線は、大宮から横浜を過ぎると根岸線に名前が変わります。
根岸線は桜木町、関内、石川町、山手といった商業地区、官庁街、観光地、高級住宅街を通り、大船へとつながるメジャー路線。
京浜急行は、その電車の色が象徴するように、川崎から横浜まで、かつての赤線(公認で売春が行われていた地域)をネットワークするアンダーグラウンドな路線。横浜を過ぎるとその様相は、より色濃くなっていきます。
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戸部駅
この駅前にあった風呂屋の二階に神が降りてきたことから始まった、横浜発祥の新宗教「大山ねずの命」。今では蒔田に大きな総本部があり、80万人を超える信者を有するまでに成長しています。
子供の頃、近所のおばさんが信仰していて、家に神棚のようなものがあって、いつもお祈りしていました。
また、京急のゲージ(車輪の幅)は新幹線と同じで、他の在来線に比べて安定性が高く、急行や快速はめちゃくちゃスピードが出ます。戸部駅は各停しか止まらないので、急行・快速がものすごい速度でホームを通り抜けていくため、かつてはヤバい職業の人たちが、不要な人物をホームから突き落として始末するという用途にも使われていたそうです。
日ノ出町
日本一女子高生乗降率が高いといわれている石川町に対して、労務者の乗降率が圧倒的に高い駅。週末はJRAに通う人でごった返しているので、絶対に利用したくありません。野毛山動物園の最寄り駅でもあるのですが、ファミリーでこの駅を利用するのはNG。
労務者に巻き込まれるとともに、「ストリップ浜劇」の前を通ることになるので、桜木町からのアプローチをおすすめします。
黄金町
つい十数年前までは日本有数の赤線地帯で、ガード下にチョンの間と呼ばれる間口1間のお店が連なっていました。お店の前には若い東南アジア系(一部中東系)の女性がズラリと並んでいて、あちこちから「お兄さん、遊んで行きませんか?」と声をかけられ、モテモテ気分を味わえたものです。
今では完全に一掃され、アートの町としての生まれ変わりを図っています。が、赤線当時の刺激的なビジュアルにかなうはずもなく、すっかりおとなしい街になっています。
ちなみに小学生の頃、駅の近くで弟が浮浪者に攫われそうになりました。
日の出町、黄金町界隈は、かつては本当に治安の悪い、アンダーグラウンドな街でした。
この先は、上大岡までちょっと鄙びた各駅停車の町が続きます。
南太田
かつて高校野球を盛り上げてくれていた、唯一の横浜市立の商業高校、通称Y高校がある以外、なにもありません。
井土ヶ谷
横浜の小学校の1/5の給食パンに使われている浜っ子のソウルフード、かもめパンの工場があるのがこの駅。数年前に焼け落ちてしまいましたが再建したようです。
弘明寺
アーケードの商店街が魅力の街。かつて商店街の裏に、マトン1人前250円の安焼肉店がありました。
横浜最古の寺、弘明寺には、三蔵法師に由来する観音様が祭られています。
上大岡
かつてはさえない街だったのに、百貨店からショッピングセンター、シネコンと、突然変異で都市機能が充実。ビッグな都市になってしまいました。平仮名で書くと“かみおおおか”と「お」が3つも続いて気持ちが悪いです。
杉田
ちょっと離れたJR新杉田が、横浜家系ラーメン発祥の地、「吉村家」があった場所。この駅には降りたことがありません。
金沢八景
シーパラまでは、シーサイドラインを使って約7分。海とは反対側に、横浜国立大学と並ぶ公立校、横浜市立大学があります。10年前に商学部・国際文化学部・理学部が国際総合科学部に統合されたのだけれど、受験生からも卒業生からも不評です。
そしてこの先、海軍の街、横須賀を通り、キャベツ畑が広がる終点三崎口へと続きます。
子供の頃は、乗るのがちょっと怖かった京浜急行。
今では本当におとなしい街になってしまいましたが、かつての黄金町界隈はギラギラのカオス地帯でした。
黒澤明の「天国と地獄」に、私が生まれる5年前の様子が描かれています。
治安が悪すぎるのも困りますが、クリーンになり過ぎても刺激がなくてつまらない。
京急には、東急のようにあまり駅前の開発を進めて欲しくないものです。