コピーライターの求人は少ないけれど、それでも広告の仕事をしたいあなたへ。
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バブル以前、バブル以降。
バブルの頃、憧れのカタカナ職業のヒエラルキーの中で、トップの座に君臨していたコピーライター。
当時は30代前半で1000万円くらい、普通に稼げる職業でした。
キャッチ1本100万円、というわけには今ないけれど、通販誌(ディノスとかセシールとか暮らしのデザインとか)のコピー代、見開き2ページ分の末端価格が約3万円。
10見開き20ページで30万円。拘束時間3日間(ほぼ徹夜)、修正作業合わせて正味1週間くらいの作業量。
当時のコピーライターにとって、通販のコピーは一番難易度が低く、一番安い仕事でした。
それでも月に3本やれば、それだけで90万円。掛ける12ヶ月で1000万円オーバー。そんなに頻繁に通販の仕事があるわけではないのですが、それ以上稼げる仕事もたくさんあったので、キャリアとコネさえあれば、いくらでも稼げたのです。
ところがバブルが弾けてあっという間に大転落。
当時お世話になっていたフリーのコピーライターは、1年で年収が1000万円から500万円まで下がってしまいました。
さらに「あなたの街の宣伝部長」愛川欽也が、「アド街ック天国」のエンディングで、毎週そこそこのキャッチコピーをいとも簡単に書き続けてしまったため、コピーライターの権威は失墜。誰もが自分でもコピーが書けると勘違いしてしまい、高いお金を払うくらいなら自分でやると、クライアントがなんちゃってキャッチコピーを書き出して、コピーライターの需要は圧倒的に減少。
以来、20年以上にわたってコピーライターのステイタスは下がり続ける一方です。
それでもあなたはコピーライターになりたいですか?
コピーライターって、時代の半歩先を切り取るのが仕事です。
いうなれば、バズりそうなトレンドキーワードを自分で生み出して、売りたい商品に乗せて発信するわけです。
例えば
「朝シャン。」
というコピーとともに、朝に髪を洗うというトレンドが生まれたり、
「お尻だって洗ってほしい。」
というコピーとともに、ウォシュレットによるトイレの新しい習慣を作ったり、
「アンネの日と決めました」
というコピーによって、生理日をアンネの日というようになったり。
今では、ほんのちょっとでも時代を動かすような切れ味鋭いキャッチフレーズなんて、一切見かけません。
コピーライターなんて、私の世代(バブル世代)の上も下も、知らない間に一周抜かしにされていて、時代くれの人たちばかり。いまではクライアントに言われるがままの文章を綴るだけ。
新しい感覚を持った人たちに、新しいコピーを切り拓いてもらいたいのに、コピーライターになるための入口として新卒採用をしているのは、ほとんどがリクルート系・求人広告制作のコピーライター。求人広告制作会社の仕事の範疇は、広告制作ではなくて編集です。
ネットビジネスでコピーライターを名乗っている人たちも、ネットのごく一部の世界だけでしか通用しません。お金が稼げれば、それはそれで良いかもしれませんが、ナショナルクライアントの仕事をすることも、グラフィックデザイナーとともに仕事をすることも、マス広告を作ることも一生ありません。
“クリエイティブ”でなければ、コピーライターではない。
いまコピーライターを名乗っているほとんどの人は、言葉の力によって、企業に、商品に、サービスに、時代に、新しい価値を創造することなんてまったく考えていません。
物を売るためのシステムに言葉を乗せているだけで、新しい言葉(価値)を生み出す力を持っていない人ばかり。
アイデア不要、クリエイティブ不要、すっかりピント外れの職業になっているのです。
それでもコピーライターになりたいというあなたへ。
それでは一体どうすれば、正しいコピーライターになれるのでしょうか。
1. 新卒で広告代理店に入社する。
一流大学に入学して、大学で広告研究会やイベントサークルみたいなところで活動して、広告って面白そうだと思って、大手広告代理店に入社して、気がついたらコピーライターになっていた。
というのが定番のコピーライター・コースです。
というより、これ以外で一流のコピーライターになる道はありません。
電通、博報堂以外のコピーライターは三流でしかありません(なので私も三流です)。
電通、博報堂のコピーライターが全て一流かといったらそれはまた違うのですが。
他のルートでコピーライターになっても、稼げない、いい仕事ができない、出世できない、業界で名前を売れない、コネができない。
ないないづくしで、コピーライターとして一人前になる(電通・博報堂に中途で入る)ために、はるか遠回りをすることになります。
とはいっても、新卒で広告代理店に入社するという道はもはや閉ざされている、二流以下の大学生&既卒の人はどうすれば良いのでしょうか。
2. 仕方がないから新卒でも中途でもよいので、広告制作会社に入社する。
大手広告代理店以外でコピーライターの求人を探します。
でも、ほとんどありません。
絶賛コピーライター募集中なのは、前出のリクルート系の求人広告制作会社くらい。
なのですが、リクルート系の広告制作会社では求人広告しか作れないので、コピーライターとして通用する腕なんて身につきません。
さらにグラフィックデザイナーもいないので、広告制作のスキルを磨くこともできません。
一度だけリクルート系あがりのコピーライターを採用したことがありますが、びっくりするくらい使いものにならなかったので、申しわけないけれどやめてもらいました。
キャリアアップするためには作品がすべて。
大きなクライアントの広告を手がけることが、転職の際の唯一のアドバンテージになります。
とにかく少しでも大きなクライアントの仕事をしている代理店かプロダクションに入り、さらに上を目指すしかありません。
そこで頼りにするのが求人サイトなのですが、リクナビにしても、マイナビにしても、エンジャパンにしても、マスメディアンのようなクリエイティブに特化した求人サイトにしても、なかなかいい会社の求人に巡り会うことはありません。
そもそもコピーライターの需要がないのですから。
求人サイトだけでなく、大手広告制作プロダクションのサイトをこまめにチェックして、コピーライターの求人が出るのを待ちましょう。
とはいっても狭き門。ほとんど門前払いになるのは間違いなしです。
3. コピーライター養成講座に通う。
宣伝会議のコピーライター養成講座でコネを作って、仕事を紹介してもらい、業界に潜り込む。
なんて、よっぽど運がいいか、人間力が高くなければムリ。
多くの現役コピーライターが、コピーライター養成講座を経てコピーライターになっていますが、コピーライター養成講座に通う=コピーライターになれるわけではありません。
コピーライター養成講座に通っていて、金の鉛筆をいっぱいもらって、うまいコピーが書けると勘違いしているコピーライターもたくさん見てきましたが、即戦力としてはまったく通用しません。
独学で腕を磨くよりは、もちろんプロのコピーライターに教わったほうが圧倒的に良いのですが、そこで認められてコピーライターになるなんていうシナリオは、ちょっとくらい頑張っただけではありえません。
とはいえ広告業界の先端の情報は集まってきますので、上手く人脈を作っていけば、道が開けることもなくはないようです。
とはいってもコピーライター養成講座経由でコピーライターになれるくらいのスキルを持っていれば、他のルートでコピーライターになれるはずです。
4. 名刺を作る。
コピーライターには資格がありません。
なので、“コピーライター”という肩書の名刺を作って自ら名乗れば、コピーライターになれます。
実は私も、コピーライターの肩書が入った名刺を作ることが、コピーライターになる第一歩でした。
あとはそれをバラ巻いて、仕事がもらえるかどうか。
そこで必要なのはコネです。
私は父がクリエイティブディレクターだったので、そのコネで仕事をもらいに行っていました。
もちろん、実績がないので、誰も仕事をくれませんでしたけれど。
まずは自分をコピーライターとして社会に放り出す。
何よりもその覚悟がなければ、コピーライターにはなれません。
5. 大きなコミュニティに入る。
私の実弟はミュージシャンなのですが、10代の頃、某有名ミュージシャンに
「ミュージシャンになるにはどうしたらいいんですか?」
ときいたところ、
「○○○(某宗教団体)に入ればいい。」
といわれたそうです。
信者の中でライブチケットがさばければ、その中だけでやっていける。
何十年も前の一発屋で、いまだに生き残っているミュージシャンの中にも、実は結構そういう人がいます。
ということで、そういう団体に入れば、その中でコピーライターとしての仕事が入ってくるようになることもあります。
かつて、その宗教団体の中で仕事をしているコピーライターにあったことがあります。
コピーライターって、やっぱりコネが物をいう仕事なのです。
結局どうすればコピーライターになれるのだろう。
相当険しいコピーライターへの道。
私がコピーライターになれたのは、父のコネのおかげです。
私の父には、コピーライター志望の大学生の弟子が2人いました。
私が小学生の頃、大学が終わると2人の弟子は家にやって来て、ひたすらコピーを書いていました。
2人とも大学卒業後、父のコネでコピーライターとして広告業界に就職しています。
それから十数年後。
私は大学を中退し、父に頭を下げて弟子になり、コピーライターへの道を作ってもらいました。
バブル期以前のコピーライターにしても、そもそもなろうと思ってなれるわけではない、相当ハードルの高い職業だったのです。
さらにコピーライターになれたとしても、業界の中で生き残っていくのは至難の技。
20代前半の頃から、一緒に仕事をしていたコピーライターのほとんどが廃業している中で、私が50歳近くまでクリエイティブディレクターとして生き残れているのは、かなり奇跡的だと思います。
マスメディア全盛の頃ならいざ知らず、今となってはさほど魅力のない仕事なのに、どうしてあなたはコピーライターになりたいのですか?
広告を見て心を動かされたことがあったので、自分も言葉で誰かの心を動かしたい。
いま働いている広告代理店で、数年前にコピーライターの新卒採用を行ったときに、多くの学生がそう答えました。
コピーライターって、そんなメンタリティだけで勤まる職業ではありません。
けれど、拝金主義のクリエイティブなきテンプレ・コピーライティングがはびこる昨今、「心を動かすコピーライターになりたい」と思った初期衝動を本気で目指そうとするコピーライターが、もっともっと出てきて欲しい。
このブログを立ち上げた理由のひとつは、そんなコピーライター志望のあなたを、どんどん応援していきたいと思ったから。
新卒採用の面接をしていて、不採用にはしてしまったけれど、コピーライターになりたいという情熱をきちんと受け止めて、伸ばしてあげることができたらいいのになぁと、心から残念に思いました。
この年齢になると、やはり技術を受け継いでいきたいという欲求・使命感が湧いてきます。
コピーライターに必要なウデ。そしてコネ。
コネはそんなにないけれど、ウデならいくらでも教えることができます。
電博や電博直系のプロダクションには入れなかったけれど。
大手プロダクションへの道も絶たれたけれど。
コピーライターの求人はないけれど。
それでもコピーライターになりたいあなたへ。
新しい世代のために、私ができること、教わってきたことを、このブログを通してもっと、もっと、伝えていきたいと思います。