横浜・本牧の歴史:戦前からマイカル本牧、そして現在へ

横浜市中区にある**本牧(ほんもく)**は、かつて漁師町として栄え、戦後はアメリカ軍の接収地となり、さらにバブル期には「マイカル本牧」の開業によって華やかな商業エリアへと変貌しました。そして現在、本牧は再び新たな姿へと移り変わっています。
この記事では、本牧の戦前から現在までの歴史を振り返り、その変遷をたどります。
1. 戦前の本牧 – のどかな漁師町と異国文化の交差点
① 本牧の原風景 – 漁村としての発展
本牧は、江戸時代から昭和初期にかけて、漁業と農業が中心ののどかな町でした。特に漁業が盛んで、海苔や貝類の養殖が行われていました。
また、現在の「本牧通り」にあたるエリアは、鎌倉時代から交通の要所として機能しており、横浜開港後は外国人が行き交う場所となりました。
② 外国人居住地としての本牧
1859年の横浜開港後、本牧は異国文化の影響を受けるようになります。開港当初、外国人居留地が設けられた山手・元町エリアの隣接地として、外国人の住む屋敷や別荘が多く建てられました。特に本牧にはアメリカ人やイギリス人の居住者が多く、彼らの影響で洋風の建物や文化が広まりました。
③ 本牧十二天 – 地元の信仰と観光の名所
戦前、本牧には「本牧十二天」という神社があり、地元の信仰と観光名所として栄えていました。春には花見客で賑わい、地元のシンボル的な存在でした。しかし、この神社は戦後のアメリカ軍接収によって取り壊されてしまいます。
2. 戦後 – アメリカ軍接収とベース文化の誕生
① アメリカ軍による接収(1945年~)
終戦後、本牧の広範囲がアメリカ軍によって接収されました。これにより、日本人住民は立ち退きを余儀なくされ、多くの土地が「本牧ベース(HONMOKU BASE)」として使用されるようになります。
特に、現在の「本牧市民公園」や「本牧山頂公園」のあたりは、米軍住宅(ベースハウス)が並ぶエリアとなり、日本人は自由に立ち入ることができませんでした。
② ベース文化の影響 – ジャズとアメリカンライフ
アメリカ軍の駐留により、本牧にはジャズ文化やアメリカンフードが根付くことになります。本牧通り沿いには、アメリカ人向けのバーやダイナーが立ち並び、日本人の若者たちも憧れを持って訪れるようになりました。
3. 1970年代~80年代 – 米軍返還と再開発の始まり
① アメリカ軍の撤退と日本への返還
1971年から1976年にかけて、本牧の米軍施設は徐々に日本へ返還されました。これにより、再び本牧の土地が開放され、住宅地や商業地として再開発が進められることになります。
② 本牧埠頭の建設と工業地帯化
米軍返還後、本牧埠頭の開発が進められ、港湾施設や工業地が広がるようになります。これにより、本牧は物流の拠点としても重要な役割を果たすエリアとなりました。
4. 1990年代 –「マイカル本牧」の誕生とバブルの輝き
① 日本最大級のショッピングモール「マイカル本牧」開業
1989年、本牧の再開発の象徴として**「マイカル本牧」**がオープンしました。これは、当時日本最大級のショッピングモールであり、映画館、レストラン、ブランドショップなどが集まる一大商業施設でした。
② 一時の繁栄とその後の衰退
当初は横浜市内だけでなく、東京や千葉からも人が訪れるほどの人気を誇りました。しかしMM21エリアという最新ショッピングエリアの登場からバブルの崩壊をを経て、集客力は一気に低下。本牧エリア自体の人口減少やアクセスの不便さも相まって、さらに客足は遠のいていきました。
地下鉄の駅ができる予定もありましたが、地元の反対や推進派の議員の落選等(この辺の情報はまた聞きですが)によって計画は白紙になり、陸の孤島確定となってしまいました。
2000年代にはほとんどのテナントがシャッターを下ろしており、ゴーストタウン化した本牧通りを車で通るたびに、『アイ・アム・レジェンド』の如く人類は滅んでしまったかのような感覚に襲われたものです。その後、2011年「イオン本牧ショッピングセンター」としてリニューアルされ、ゴーストタウン化は解消されました。
5. 現在の本牧
再開発による変化
現在の本牧は、かつての華やかさこそないものの、「本牧市民公園」や「三溪園」、「本牧山頂公園」など、緑豊かな環境が整備されています。
また、マイカル本牧の跡地にある「イオン本牧」も少しずつリニューアルされ、ブックオフ等新しい店舗も出店しています(そのかわり本牧通りにあったGEOが閉店)。
また本牧和田という超高級住宅エリアもあり、周富輝やラミレス、斉藤由貴(離婚前)、三原じゅん子といった有名人が住んでいるようです。
本牧通りには「OKストア」「あおば」「ヒルママーケットプレイス」、小港町の方に行けば「sanwa」といったスーパーや、「コーナン」「島忠」といったホームセンター、コジマ、ヤマダ、ニトリと、周辺には商業施設が充実しているので、車があれば不便を感じることはありません。
BUT
「イオン本牧」は、1階のスーパーこそ賑わっているものの(あとは2階のふじやま亭・5階のブックオフ)、他の店舗はいつも閑散としており、100円ショップセリアも閉店してしまいました。時計塔の時間は12時で止まったまま。
イオン本牧の向かいにある「ベイタウン5番街」も、2階以上のテナントが歯抜け状態でほぼ廃墟。隣の映画館も2011年に閉館したまま放置状態。
かつてのマイカル本牧を中心として施設の老朽化、さらには高齢化・外国人化がすすみ、今後住み心地の悪さが加速していきそうなエリアとなっています。
本牧は、
- 戦前は漁村と外国文化の交差点
- 戦後はアメリカ軍がベースとして接収
- バブル期にはマイカル本牧で繁栄
- 落ち着いた住宅地として再評価
という、大きな変化を経験してきた町です。老朽化がすすむマイカル本牧跡の施設の建て替え等、新たな魅力を持った街に生まれ変わることができるのか、これからの街づくりに注目していきたいと思います。