アートディレクター不在の今、グラフィックデザイナーは、生き残っていけるのか。
石岡瑛子、浅葉克己、葛西薫、梶祐輔、サイトウマコト、大貫卓也、田中一光、原研哉…
かつて先生と呼ばれていたアートディレクターたち。
完全なる体育会系徒弟制度の中で、辞めずに生き残った人たちだけしか上に行くことができない、閉鎖的な世界。
私が広告業界に入った約30年前は、一番早く会社にいって机回りをキレイに掃除して、先輩の烏口を磨き、先輩が出社するとちょうどいい温度のお茶を出し、なにを言われても従順に従う。というのが当たり前の世界でした。
時代が変わって、表現の方法論は変化しても、広告制作の方法論は変えようとせず、旧態依然としたクリエイティブの現場。
何十案もアイデアを出して、ブレストして、さらに何十案もアイデアを出し直し、煮詰まるまで徹夜して、最後の最後までアイデアをブラッシュアップしていく。
レイアウトのパターンを何百通りも壁に貼りだして、絞り込んでいく。
クライアントから終電間際に指示が入って、朝までにお願いといってくる。
クライアントから金曜日の夜に連絡が入って、月曜日の朝までにお願いといってくる。
クライアントから深夜まで、修正指示が送られて、その場対応をさせられる。
完全なる非効率的な仕事現場。
クリエイティブだからそれが当たり前という洗脳を施し、クリエイターたちの労働時間を搾取することによって成立していたのが広告制作会社です。雇用形態は1年間の契約社員。年俸制だから残業代はなし(本当は違うのですが)で、会社にたてつくと再契約してもらえないという、すき家のアルバイトよりも劣悪な状況で、クリエイターたちを育てることもなく、倒れるまで酷使してきました。
古くから営業を続けている老舗の広告代理店や広告制作会社は、そんなブラック企業の魂を、脈々と受け継いでいます。そもそも業界自体が100%ブラック。広告業界は、すべて違法の労働環境の元に成立しています。
ところが電通が訴えられ、徹夜、残業ができなくなってしまった今、広告業界自体がビジネスモデルとして完全崩壊していることが明るみに出てしまいました。
バブル崩壊以前は、定価がないのをいいことに、見積もなしに仕事を受注し、仕事を納めた後で、利益を適当に乗せた請求書に、広告代理店から袖の下をもらっているクライアントの担当者がめくら判を押してくれていたので、馬鹿みたいに稼げていました。
バブル崩壊直後でも、通販カタログ見開き2ページのデザイン費、撮影ラフ&ディレクション込みで、下請けのプロダクションでも20万円くらいもらっていました。コピー代、スペック管理代は別料金です。
それが今や、1/10ももらえればいい方。そもそも仕事自体がありません。末端の広告制作会社ほど、労働時間を搾取して、その分を会社の利益にするしか、生き残る方法がなくなってしまっています。
小さな広告代理店や広告制作会社ほど、違法な残業をさせていますが、残業代なんて払ったら、あっという間に会社は成り立たなくなってしまいます。
裁量労働制にすれば、社員の出退勤が管理できなくなって仕事の管理がめちゃくちゃになる。かといって管理すればクリエイティブ性は失われていく。
印刷会社は印刷費で利益を抜けるので、制作費をほとんどただ同然までディスカウントして広告制作を請け負ってきました。ところがネット印刷の台頭で印刷費が暴落。ただ同然までディスカウントされた制作費で制作だけを頼まれ、印刷はネットで、、、といわれる始末。
そもそも印刷屋のデザイナー(ほとんどオペレーターですが)なんて、とんでもない薄給。30代でも手取り20万円ももらっていないなんていう話はざら。それでも利益が出せなくなっているのがグラフィック・デザイナーの現状です。
30歳を過ぎても手取りが10万円台。
毎日終電、たまに泊まり。徹夜もしばしば。土日出勤は当たり前。
大きなクライアントの仕事がなくなって、倒産寸前だけど行く場所がない。
毎日毎日、同じクライアントのチラシの仕事しかしていないから成長できない。
フリーになってみたのもの、メインの仕事がなくなっちゃってこの先どうしていいかわからない。
そんなグラフィック・デザイナーのあなたへ。
私はクリエイティブをあきらめない。
ぜひ一緒に、いい広告を作っていきましょう。