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横浜3大がっかり観光名所。外しても、やっぱりヨコハマ。行ってみる価値はあり。

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日本でも有数の観光都市、横浜。

みなとみらいエリアはバブル以降開発がストップし、しばらくの間空き地が目立っていましたが、再開発が進み、さらに開発が進められています。

ベイクォーターやマリン&ウォーク、マークイズみなとみらいといった新しいスポットも大人気。
山下公園、中華街、野毛、元町といった古くからあるスポットもいつ行っても人だらけ。

というわけで、みなとで、みらいで、歴史と文化の香りも漂う、魅力いっぱいの横浜ですが、シンガポールのマーライオンや札幌の時計台、高知のはりまやばし、長崎のオランダ坂には及ばないものの、訪れた人をがっかりさせるスポットもいっぱいです。

古くはユーミンの「海を見た午後」の歌詞の中に出てくる山手の“ドルフィン”は、三浦岬が見える静かなレストランとして、ユーミン全盛期には憧れのスポットでしたが、交通の便が悪すぎて車じゃないといけないし、行ってみたら本当に、海が見えるだけの普通のレストラン。よっぽど感性豊かでないと、ユーミンの世界観とはちょっとズレた感のある、がっかりスポットのひとつ。

港の見える丘公園からの眺望も、倉庫やコンテナばかりでロマンチックとはいいがたく、外人墓地も所詮墓地。

横浜駅周辺は、高島屋、モアーズ、ルミネ、そごう、スカイビル、ビブレといった百貨店、専門店が建ち並ぶショッピングシティになっていますが、あちこち工事中で複雑に入り組み、やたらと人が多いだけで、一見の観光客を拒むエリアとなっています。

中華街ですしざんまいに行く、というのもちょっとがっかりですよね。
いつも混んでいるのですが・・・。

そんな数ある観光スポットの中でも、横浜生まれ、横浜育ちの私が選ぶ、横浜がっかりスポット・ワースト3を紹介したいと思います。

Contents

吉村家

吉村家の噂を聞いたのは、四半世紀以上前。
「新杉田に行列のできる有名なラーメン屋があって、スープの表面に2ミリくらい脂の膜ができるくらいこってりしてる」

友人から聞いたそのラーメン屋が吉村屋だと知ったのは、その直後に訪れたラーメンブームで、家系が一斉を風靡した時のこと。

六角橋にも行列ができる美味しいラーメンがあるという噂を聞いたのですが、それも「六角家」という家系ラーメン店。

関東には醤油と塩と味噌ラーメンしかなかった時代に、こってりとんこつ醤油ラーメンは衝撃でした。

山手のデザイン事務所に勤めていた頃、週に1回は山手トンネルの元町側にあった「たかさごや」で家系ラーメンを食べていました。
今でも「たかさごや」は日の出町の駅前と関内駅前で営業しています。

「六角家」本店には2回しかいったことがありませんが、、井土ヶ谷駅のそばに住んでいた頃、近所に支店ができたので、よく食べに行っていました。
横浜ラーメン博物館オープンの際に「六角家」が入った時、すぐそばに本店があるのにと思いつつも、長い行列ができているのを見て、「やっぱり美味しいもんなぁ」と思ったものです。

当時は家系の味を守ることができる職人だけが、暖簾分けをして「家」を名乗っていたので、「かまくら家」「本牧家」「神田家」などなど、どの店に入っても美味しさに変わりはありませんでした。

その後、家系乱立。

「○○家」を騙った家系もどきが乱立し、家系ブランドに傷をつけていきます。
ブランドに一番傷をつけたのは、裏ビデオの販売で逮捕された吉村屋の社長なんですが。

さらに家系の代名詞とも言える「六角家」が、横浜ラーメン博物館に出店したのをピークに、チェーン展開によって、その名を貶めていきます。

今は無き御徒町の「六角家」に行った時のこと。
店員は外国人だけ。中国語(多分)でペラペラ喋りながらラーメンを作っています。
本店では、私語厳禁の職人が、黙々と作っていたのに。
そして出てきたラーメンは、薄くて、臭い、雑巾の絞り汁のようなスープ。
とても食べられたものではありませんでした。

海老名のビナウォークにも「六角家」があったのですが、やっぱり不味い。
「六角家」ですら家系の味を守れなくなっていました。

以来たまに家系を食べたくなって、それらしいお店に行くのですが、美味しい家系に当たることがめっきり少なくなりました。

そして本家・吉村家。

横浜駅からかなり外れたところにあるのですが、いつも混んでいるので、一度も行ったことがありませんでした。
ところが先月(2017年10月)たまたま仕事で横浜に行った際に、並ばずに入ることができました。

カウンターから厨房を見渡すと、「本当にこいつら、美味しいラーメン作れるの?」と疑いたくなるような、職人らしさのかけらもない輩たち。
客の誘導をしているオッさんも、寿町にいるような風体。

出てきたラーメンは、私の知っている家系ではありませんでした。

かつての家系は、味も脂(鶏油)も「普通」を頼んでも、こってりととろけるようなコクのある濃厚スープに、歯ごたえのある中太麺が絡み、麺と同時にスープも飲みきってしまうほど、バランスの良いラーメンでした。

ところが豚骨のコクはまったくなく、鶏油も申し訳程度に入っているだけで、雑味が多い、薄口の醤油風味スープ。
中太麺の味と歯ごたえ、カチカチのチャーシューは昔の家系のままでしたが、本家がこれでは、他の家系が美味しいわけがない。

食べログでは高評価ですが、あんなラーメンが、本当に美味しいのだろうか?

私の舌が老化したのか、時代が変わって味の好みも変わったのか、たまたまその時だけ美味しくなかったのか。

吉村家で食べるくらいなら、目の前にある横浜家か、すぐ側にある一風堂、天下一品、大勝軒に行くことをオススメしたいのだけれど、それでも機会があれば、やっぱり家系・総本山の味、一度は試してみたいですよね。

赤い靴履いてた女の子像

山下公園を歩いていると、ちょうど真ん中あたりに、膝を抱えて海を見つめている少女の像が建てられています。
インスタ映えするスポットだらけの横浜だけに、ちょっと冴えない佇まいなのですが、一応一緒に記念撮影をしている人も少なくありません。

さらに、横浜駅の中央自由通路にも「赤い靴履いてた女の子像」が設置されています。
こちらは、山下公園の「赤い靴履いてた女の子像」からはるかにスケールダウン。
像の左右にガス灯がなければ気づかれないだろうサイズになっています。


この像ですが、1982年8月に南口に設置され、1998年に一度撤去されていたものの、2010年12月に移設されたとのこと。
1982年といえば、高校生だった私は毎日横浜駅南口を通って高校に通っていたのですが、「赤い靴履いてた女の子像」には全く気付きませんでした。
待ち合わせ場所に使ったこともありません。
どちらもパッとしないので、それだけでもがっかりスポットには十分なのですが、さらにがっかりなのは、そもそも「赤い靴履いていた女の子」は、横浜に縁もゆかりもないこと。
実話を題材にして書かれたという定説がありますが、それは静岡県か北海道でのこと。
作詞家の野口雨情は、横浜に縁もゆかりもありません。

赤い靴はいてた女の子
異人さんにつれられて行っちゃった

横浜の埠頭から汽船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった

今では青い目になっちゃって
異人さんのお国にいるんだろう

赤い靴見るたび考える
異人さんに逢うたび考える

歌詞に横浜が入っているということだけ。
「赤い靴履いてた女の子像」にまつわるストーリーは、残念なことに全くないのです。

ちなみに野毛の平戸桜木通りの片隅には、「美空ひばり像」が忘れ去られたかのようにひっそりと建っています。
建てられた頃はステッキが折られたりして多少は注目を集めていたのですが、亡くなってから30年が過ぎようとしている今となっては、野毛のにぎわいとは裏腹に、知っている人の方が少ないのではないでしょうか。


一応こちらの方は、出身地にほど近く、初舞台を踏んだ場所で、12歳の頃の主演映画「悲しき口笛」の舞台が野毛界隈だったという、由緒正しいバックストーリーがついています。

三渓園

バブル景気真っ盛りの頃、地下鉄が伸びるということで飛躍的に開発が進んだものの、結局伸びることなく、陸の孤島と化してしまった本牧。
山手駅からも根岸駅からも程遠く、バスか車でしかアクセスできない場所に、「三渓園」という大きな庭園があります。
もともとは生糸貿易により財を成した実業家・原三溪の私邸で、京都や鎌倉などから歴史的に価値の高い建築物を移築して造成されました。
庭園内には数寄屋風書院造りからお堂、茶室、寺院、三重の塔まで、様々な日本建築の建物が、建てられた時の姿のままに保存され、そのほとんどが重要文化財・市指定有形文化財となっています。
四季折々の花も楽しめ、特に春先は桜の名所として賑わいます。

ゆっくりと園内を散策すると、小一時間くらい。
お茶屋さんで休憩しながら一つひとつの建物をじっくり見ていくと、半日は楽しめるおすすめのスポットです。

横浜で生まれ育った私は、子供の頃から遠足や家族でのお出かけ、花見などで、頻繁に訪れていました。
あの頃は、大きな池で泳いでいる亀を見ているだけで楽しめたものです。

三渓園自体はとってもおすすめなのですが、がっかりなのは三渓園からの絶景スポット。

三渓園の正門から入り、三重塔の塔を目指して山道へ入り、ダラダラと続く坂を登りきる手前に「松風閣」という建物の跡があります。崩れ落ちたレンガの残骸は、関東大震災によるもの。松風閣は、東京湾の絶景を望むことができる原三溪の別邸として伊藤博文が命名したそうですが、今ではその姿を見ることはできません。
そしてその先にある、小高い山の頂上には、かつて伊藤博文が絶景を望んだ東京湾を見下ろす、展望台があります。

初めてその展望台に登って、眼下に広がる景色を見たときの・・・

そのがっかり感は、ぜひあなたの目で、ご確認ください。

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