横綱はここから生まれた。熊本にて800年続いた相撲の神様・吉田司家、お家取り潰しの顛末。

大相撲春場所で白鵬が優勝しましたが、横綱らしくない相撲を取ったということで、大ブーイングを浴びました。相撲取りには品格も必要・・・ということですが、今のご時世に、品格のある人が相撲取りを目指すとは思えないし、厳しい稽古に耐えられるとは思えません。

そもそも物心ついた頃からの文系で、大のスポーツ嫌いの私にとっては、今も昔も、まったくの興味対象外。

日本の国技といいながら、モンゴルの国技なのではないかと思えるくらい日本人が活躍していないことに対しても、特に関心ありません。

1998年7月、若乃花勝以降、20年近く日本人の横綱がいない。。。もはや国技だなんて、何をもって言わしめているのか。。。

ですが、さらに遡ること10年。1986年の時点で、すでに相撲の伝統は最悪なまでに損なわれていたのです。

相撲の神様、吉田司家とは

現在横綱は、日本相撲協会が任命しています。

ところが元々は、相撲の家元である「吉田司家」が、江戸時代の頃に“横綱”を考案し、任命していたのです。

吉田司家

知っている人はほとんどいないと思いますが、細川家のお膝元、熊本にて800年以上の歴史を有し、「相撲の祖」として天皇より命を受け、相撲の神様と言われていた、由緒正しき家柄です。

後鳥羽天皇(1198年2月18日)より相撲に関する全権を委ねられ、19世吉田追風は「横綱」を考案。1791年および1794年に、武家相撲の作法および土俵の登場・礼式などすべての相撲の様式を制定。のちに、行司の最高位である立行司の免許も吉田司家が発行しています。

歴代の横綱の横綱は吉田司家詣でをして、吉田司家より任命を受けていました。 ところが1980年代、24世吉田長善が野球賭博で借金をつくり、経営悪化の末、代々伝わる相撲関係のお宝のすべてが、借金のかたとして流失することになってしまいます。その際に暗躍していたのが「日本財界のフィクサー」といわれた許永中。

吉田司家が所有していた多数の相撲関係資料や美術品の行方について、ウィキペディアでは

日本相撲協会は「現在どうなっているか、まったく分からない」と述べている

となっていますが、さすがの許永中も相撲関係のお宝は売り捌くことができず、某宗教団体の倉庫に預けられたまま・・・。

1986年、吉田司家、お家取りつぶし

第59代横綱隆の里俊英の任命を最後に、1986年5月以降、横綱は日本相撲協会が任命することになりました。そして、最初に任命した横綱が第60代横綱双羽黒光司。その双羽黒は、まったく活躍できず、あまりの素行の悪さに「破門」になってしまったのも、なんだか皮肉に思えます。

アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「プレデター」という映画の試写会を見に行った際に、来日していたアーノルド・シュワルツェネッガーへの花束贈呈役として、劇場に来ていた双羽黒を見たことがあります。双羽黒は劇場のロビーで電話をかけていたのですが、その話し方があまりにも横柄で、下品で、こんな奴が横綱だなんて、相撲取りって愚か者の集まりなんだなぁと思ってしまいました。

吉田司家復興のため、地元の起業家が立ち上がる

とはいっても地元熊本では、相撲の歴史とともに歩んできた、由緒正しき名家。

天照大神・住吉大神・戸隠大神の三神を奉斎した神殿、吉田司家宝物館、土俵なども残っているのですが、すべて差し押さえ状態。なんとか復興するために、地元の名士たちが立ち上がります。

そして、熊本で幾つかのビジネスを成功させ、熊本出身の柔道家の少年時代の映画のプロデュースまでを手がけていた起業家が、まずは銀行の差し押さえを解除すべく、5億円を用立てるべく任命され、東京に進出。 時は世紀末の頃。 ここで、私が以前勤めていた広告代理店に、その起業家から声がかかります。

・・・やっとたどり着きましたが、「吉田司家」と「広告家」、「家」繋がりで書いていたわけではなく、自分が携わった広告の仕事のレポートとして、書かせていただいています・・・

「リーフレットを作って欲しい」

その起業家は、東京に出てきてから、自分のつてをたどり、幾つかのビジネスを立ち上げようとしていました。

・東南アジアから魚を安く仕入れ、魚の100円均一ショップを開店

・発泡スチロールエコに処分できる、発泡スチロールを溶かす溶剤の販売

他にも7種類くらいのビジネスを立ち上げるべく準備をしていたのですが、どれも実現には至りませんでした。リーフレットも、途中で制作ストップしてしまいました。

皇室を巻き込む、起死回生のビジネス始動

しばらく経って、その起業家から新しいビジネスをやるので協力して欲しいという連絡が来ます。起死回生のビジネスとして立ち上げたのが

皇室カレンダー販売

キケンな香りがプンプンするのですが、知り合いの代理店から、毎年発行されている「皇室カレンダー」の独占販売権を得たということで、「皇室カレンダー」の収益金の一部は、相撲の神様「吉田司家」復興のために使われるというプレスリリース用、資料の制作を頼まれました。

それこそ怪しい話でしたが、「皇室カレンダー」が毎年発行されていることも、起業家が吉田司家公認なのも、地元でビジネスやプロデュース業をやっていることも、熊本日日新聞に記事として掲載されていて、なにひとつウソはありませんでした。

とりあえずプレスリリースくらいなら資料をまとめるだけでデザインの必要もないので、作業としてはたいしたことはないかと思っていたのですが、資料をまとめるだけでなく、実際の新聞記事のサンプルをデザイン込みで作って欲しいといった追加オーダーもあり、さらに100セットも必要だとのこと。

印刷するには部数が少なかったので、カラーコピーで出力して手製本。当時バカ高かったカラーコピー代を含め、実費で50万円くらいかかってしまいます。あまりにも胡散臭かったのと、内容が広告制作とはちょっとかけ離れていて、あまり仕事を受ける気がなかったので、足元を見つつ100万円の見積りを提示。50万円上乗せ。高過ぎです。

でも、絶対に儲かるからそのくらいなら大丈夫だといって、100万円の見積にOKが出てしまいました。さらに3ヶ月後に現金化できる5000万円の手形を見せてもらい、支払いは大丈夫だからといわれ、言われるがままに制作を始めました。

IMG_3219

そして、吉田司家復興ならず

「皇室カレンダー」販売概要から、吉田司家の資料、記事の雛形、発起人・協賛人のリストまで、かなりの大作。 中でも顧問のリストは、地元出身の元総理大臣から、先日引退された財界の大物までがズラリならんでいてやばいです。

印刷、製本を終えてさあ納品、ということで、事務所に届けに行ったところ、そこには見知らぬ男性が一人。

社員として中途で採用され、初出勤なのだけれど誰も居ない。。。

と途方に暮れていました。起業家、失踪。納品できず、いったん撤収。 その後、入院していることが判明。病院まで何度か制作費の回収にいったのですが、払われることなく、プレスリリースも粗大ゴミになってしまいました。

あれから15年。吉田司家はどうなっているのか、久々に思い出して調べてみたところ、

2005年(平成17年)2月に土地・建物が熊本地方裁判所にて競売にかけられ、穴吹工務店(高松市)に約2億円で売却された。建物はすべて取り壊され、跡地には同社のマンションが建設された。参道に面したマンション敷地内に「吉田司家跡」の石碑が存在する。(wikiペディアより)

 

800年の歴史、再興できず。宝物館の資料は何処に…。

そして制作費100万円未回収。

吉田司家公認 一味清風会

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です