相撲なんてバカ・デブ・貧乏人の格闘技。そろそろ国技にするのはやめて欲しい。

相も変わらず相撲界がもめています。

日本古来の神事として行われ、今に受け継がれてきた相撲。
日本の国技として、その頂点である横綱は、強いだけではなく、心・技・体という品位・品格が求められます。

なんていう建前は置いておいて、そもそも相撲取りなんて、体が人より大きくて、バカで貧乏な奴がなるものです。

北の湖の奥さんは、書家をやっていた祖母の弟子だったのですが、子供の頃から大きかった私は、親戚からよく相撲部屋に入れちゃうぞとからかわれたものです。

相撲部屋なんて、子供の食い扶持を減らしのためのもの。

おなかいっぱい食べたくても、貧乏だから食べられない。
頭が悪いから、義務教育が終わったら、勉強したくない。
腕っ節だけは、人一倍強い。

という3拍子揃った子どもを、相撲部屋で預かる。
その中でも、24時間監視のもと、“かわいがり”という体罰を耐え抜いたごく一部の人だけが、幕内力士になれる。

今の日本では、多少バカでも食べることには困ることがないので、尻丸出しで汗まみれ、泥まみれになってまで、相撲なんてやりたいと思うヤツはほとんどいません。

体罰は、体育会系バカが、体育会系バカを指導するためのもの。その枠の中で行う分にはお互い様だと思うけれど、往々にして体育会系バカが、そうでない相手を指導するために使ってしまうから問題になるわけです。

というわけで、よりハングリーなモンゴル人が横綱を席巻してしまったわけですよね。

その横綱には心・技・体が求められるわけですが、そもそも教える方も教わる方も頭が悪いのに、“心”が身につくわけがない。

往年の若・貴人気は、バカ・デブ・貧乏ワクではなく、サラブレッドだったことにも由来しているのではないかと思います。

日本相撲協会自体、そんな人たちが牛耳っているわけで、伝統も品格も格式も、あったもんじゃない。

以前記事に書きましたが、そもそも横綱は、後鳥羽天皇より委ねられた吉田司家が任命していました。
その吉田司家は、野球賭博で借金を作り、許永中に騙されて、お家取り潰し。

その後、横綱は日本相撲協会が任命することになります。

日本相撲協会が任命した横綱の第一号が双羽黒。
幕内で一度も優勝したことがなく、素行が悪かったにもかかわらず、当時千代の富士しか横綱がいなかったこともあって、見切り発車で横綱に。
その結果、部屋を脱走し破門になり、横綱廃業という、ろくでもないことになっています。

映画館のロビーで電話をしている双羽黒を見たことがあるのですが、単なる下品なヤンキーでした。

伝統を大切にしたいなら、品位・品格は必須。横綱の任命と、その使命を厳格化すればいいのに。

そうすると横綱がいなくなってしまうというジレンマから逃れたいなら、相撲部屋だけに任せている育成制度を改善すればいいのに。

相撲の神様、吉田司家がお家取りつぶしになり、さらにはモンゴル人の横綱ばかりという時点で、国技としての伝統は破綻してます。

昔から相撲なんて面白いと思ったことがありませんが、そこは人それぞれ。

国技であるなら、あんまりみっともないことはしないで欲しい。

そろそろ本音と建前を切り離し、儀式は儀式として受け継いで、興業の大相撲とは分けて考えてもいいのではないでしょうか。

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