プロフィール

profile

現役のコピーライター/クリエイティブディレクターです。

はじめまして。佐藤たかおと申します。
数あるブログサイトからkoukoku-yaをご覧いただき、ありがとうございます。

1967年7月12日、横浜生まれ、横浜育ち(33歳まで横浜市民でした)、座間在住。
コピーライター&クリエイティブディレクターとして、現在広告代理店に勤務しております。

私の父もコピーライター&クリエイティブディレクターでした。

1960年代、まだ広告文案家と呼ばれていた頃から、クリエイティブの第一線で活躍していました。

そのコネを使い、昭和64年1月1日、21歳の時にコピーライターとしてデビュー。
数年前に父は亡くなりましたが、父から受け継いだ家業として、私自身28年目、親子で50年以上に渡り、コピーを書き続け、広告を作り続けています。

コピーライターの現状・広告業界の現状。

50年の間に、すっかり様変わりした広告業界。そして現在、コピーライターは絶滅の危機に瀕しています。

詳細はブログ記事にてお伝えしていこうと思っていますが、現在元気がいいのはwebのセールスライターだけ。リアルなコピーをきちんと書けるコピーライターは、もうほとんどいません。

理由は簡単。
クライアントが自分でコピーを書き出して、需要もコピー代も激減。それを受けて、広告代理店、広告制作プロダクションが新卒採用をしなくなってしまったから。昨年久々にライトパブリシティ(日本でNo.1の老舗広告制作プロダクション)が新卒採用をしていましたが、才能のある若いコピーライターが、現場でまったく育っていません。

 

糸井重里も、コピーライターをやめてしまいました。

また、広告業界全体を見ても、バブルの頃からず~っと右下がり状態。こちらも元気がいいのはネットの世界だけ。広告代理店も、広告制作プロダクションも、どんどん潰れてなくなって、コピーライターも、デザイナーもみんな廃業に追い込まれています。

というわけで、ネット以外の広告現場は、衰退の一途をたどっているのです。

広告は、ネットだけでは成立しません。

広告の主流は完全にインターネットになってしまいました。
今ではマーケティングやコピーライティングのノウハウも、ネット中心に語られています。

が、ちょっと待った。

ポスター、カタログ、雑誌広告、さらには学校案内なんていうものも、広告制作会社の仕事なのですが、これってネット広告のノウハウだけでは作れません。

ーちなみに、チラシやDMは、ネット広告制作の延長で作れちゃうものもありますー

大幅に減ってはいるものの、なくなることのないネット以外の媒体、ツール。
ところが制作ノウハウは、廃れ、劣化していくばかり。

広告制作現場から、広告の作り方をお伝えします。

このブログサイトの目的 1

正しいクリエイティブの仕事を伝えたい。

ネットで必要とされるコピーライティングも、宣伝会議の「コピーライター養成講座」で教わるコピーライティングも、コピーライターに求められるスキルのほんの一部。
もっと広く、もっと深く、できる限りわかりやすく、コピーの書き方・仕事の仕方をお伝えしていきます。

グラフィックデザイナーも二極化が進み、大手広告代理店系の仕事に携わっているデザイナーと、それ以外のデザイナーの溝は広がるばかり。なんとか広告業界にしがみついている多くのグラフィックデザイナーと一緒に、これからの広告業界を支えていきたい。

衰退するクリエイティブを、活性化していきます。

このブログサイトの目的 2

広告の作り方を伝えたい。

クライアント(企業)側からも、広告の発注の仕方がわからないという話をよく聞きます。広告や販促ツールを作るノウハウが、企業においても継承・蓄積されていないのです。
広告を作る上で最低限知っておきたい基礎知識を中心に、広告の企画・立案から制作、立ち上げまでをお伝えしていきたいと思います。

駆け出しのコピーライター&コピーライターを目指しているあなたへ。

広告業界で生き残っていきたいと思っているグラフィックデザイナーへ。

もっと良い広告を作りたいと悩んでいる宣伝担当のあなたへ。

少しでも、あなたのお役に立てていただければ幸いです。

というわけで、佐藤尚生のさらに詳しいプロフィール。

前述の通り、コピーライターだった父の影響を受け、物心つく前から原稿用紙とペンをおもちゃ代わりに育ち、物心つく頃には当然のごとく文筆家を目指していた私。

ーといっても3人いる弟たちはまったく父の影響を受けず、音楽プロデューサーとプロレスラーになっていますー

大学では文学部に行きたかったのですが、受験に失敗し、一浪ののち、すべり止めとして受けた日本大学商学部商業学科に補欠合格。

ー当時は入学金を返却してもらえなかったので、すべり止めの大学は、本命の入学金支払期限よりも発表が遅いところを選ばなければいけませんでしたー

当然大学の授業のすべてが自分の志と違うため、不要な知識を教わる時間に我慢できなくなり、大学2年の前期で中退。どうしても物書きになりたいと、当時フリーでコピーライターをしていた父に頭を下げて弟子入りしたのが、私のキャリアのはじまりでした。

ーコピーライターになるのなら、商学部できちんとマーケティングを学んでおけばよかった、、、と後悔したのは何年も経ってからのことですー

昭和最後のコピーライターとして社会人デビュー。

しばらく父のアシスタントをしていたのですが、父の知人が社長をやっていた大手カーディーラーの広報宣伝課に、父と共にコピーライターとして採用決定。

昭和64年1月1日付けで入社し、初出社は1月6日。

翌日天皇崩御。

おそらく私が昭和の一番最後にデビューしたコピーライターなのではないかと思っています。

そして、駆け出しのコピーライターの頃に、ふくれあがるバブルを経験。

当時のコピーライターは、誰もが憧れるカタカナ職業の頂点に君臨しており、30代前半で1000万円プレイヤーになれる仕事でした。

ーなぜか父は、腕があってもまったくお金を稼いでこなかったのですがー

私は当然ぺーぺーだったのでバブルの恩恵を受けることなく、初任給は手取りで、残業代込み13万円。
それでも腕さえ磨けばいくらでも稼げるようになるのだから、まずは自己投資とばかりにバブルの波に乗り、お金を使って遊びまくりはじめた頃、

バブル崩壊。

知人の年収1000万円コピーライターたちの収入が軒並み半減し、さらに下がっていくのを横目で見ながら、自分が30歳になる頃にはもっと稼げる腕になっているはずだし、景気も回復しているはずだと信じ、コピーライターの腕を磨き続けました。

当時、コピーライターは、大体ひとつの会社に3年くらいいたら次の会社に移り、その間にコネを作って10年目くらいで独立するというのがひとつのサクセス・ストーリーでした。

そして私も例外にもれることなく、3年周期で会社を変わり続けることになります。

16年で9社。コピーライター放浪記。

最初のカーディーラーは、消費税導入とバブル崩壊のあおりを受けて経営が悪化。広報宣伝課がなくなり、コピーライターとしていられなくなってしまい、3年4ヶ月で会社をチェンジ。

次に入った会社は、業界大手の広告制作プロダクション。もちろん父のコネ。作家の石田衣良も同じ頃、コピーライターとして在籍していたのですが、フロアが違ったのでまったく知りませんでした。
そこでは、大手広告代理店の仕事に携わることで、どこへ行っても通用するキャリアを築くことができましたが、結局3年で退社。

3社目は、当時流行っていたゲーム業界で仕事がしたいと思い、ゲームソフト制作会社に嘱託として席を置かせてもらったのですが、ゲームソフトの開発が遅れて、広告制作が先延ばしになり、やることが無くなってしまったので2ヶ月で退職。

4社目は、地元横浜で広告制作会社を見つけて入社。山手の丘の上、ものすごくロケーションの良い、一戸建の洋館でコピーを書いていました。
ところがアートディレクター兼社長が、知り合いに勧められてマルチビジネス(ニュースキン)をやりはじめ、そこそこ稼げるようになってしまい、私にも、コピーライターはいいから一緒にMLMをやろうと誘ってきました。
そして毎週一緒にセミナーに参加、そのたびに大勢の月収1,000万円プレイヤーがアドバイスをしてくれて、なんとかがんばろうと思ったのですが、文章でものを売ることはできても、対面でものを売るスキルはまったく持ち合わせておらず、出来たのは在庫の山。

MLM(マルチレベルマーケティング)の知識は身についたものの、ネットビジネスに専念したいという社長の意向で会社解散。

本来は、この頃には独立を考えるはずだったのですが、広告代理店から個人に仕事を発注するということがほとんどなくなっていたので、フリーは諦めて次の職場を探すことになります。

5社目は、凸版印刷の下請けのプロダクション。30人規模の会社から半年で150人規模に拡大し、人件費が経営を圧迫したため、9ヶ月でリストラ。

6社目は、関西に本社のある、ベンチャー系の小さな広告代理店。3年目に社長ともめて即日解雇。

7社目は、2社目で世話になったクリエイティブディレクターが立ち上げた広告代理店。いつまでたってもバイト扱いで、給料遅配も続いたため、3年で退社。

8社目は、NTTメインの広告制作会社。電電公社のお役所仕事に馴染めず、2週間で退社。

9社目の広告代理店(現在も在籍中)に入社した頃は、すでに38歳。

30代で1000万円プレイヤーになって、生活も潤っているはずだったのですが、世の中、あっとおどろくデフレ状態で、私の給料は10年以上横ばい状態。

そこに訪れたリーマンショック。広告代理店は一番景気の影響を受けやすく、仕事が激減。

やっと業績が復活してきたところで、3.11到来

バブル以降、転げ落ちる石(Like a rolling stone)のように、ステイタスと収入を失って、業界を去っていったコピーライターたちをどれだけ見てきたことでしょうか。

私は今でもコピーライターとして、クリエイティブディレクターとして、なんとか業界に踏みとどまることができています。

生涯現役を目指して、後30年、書き続けていくために。

クリエイティブの復権とともに、その力によってリアルな広告の価値を高めていきたいと、日々広告制作に勤しんでおります。

その先の広告制作へ。佐藤尚生のUSP(Unique Selling Proposition)。

時代はネット中心に動いています。そして、ネット上で完結する広告手段、マーケティング手法に関しては、すでに多くのオーソリティが存在します。私自身、そういった方たちから色々と教わっております。

そこで身につけた知識とリアルでの経験を組み合わせ、ネットとリアルを橋渡しするプロモーション(O2O〈Online to Offline〉というのですが)を、より精度の高いものにしていく。
そこから新しい広告の表現方法や、マーケティングの可能性を見出していく。

それができるのは、28年のコピーライター・クリエイティブディレクターとしての経験と、アート・ディレクター、グラフィック・デザイナーやイラストレーターといったクリエイターとの、実制作におけるコネクションを持っている私の強みであり、私の使命であると思っています。

〈過去に制作実績のある業界・企業・団体〉
流通業界:東急プラザ・モアーズ・セルテ・ロビンソン百貨店 他
不動産業界:殖産住宅・東日本ハウス・三菱地所販売・三井不動産販売 他
通販業界:ディノス・日本文化センター・暮らしのデザイン・二光 他
その他:BOSE・凸版印刷・梁山泊・ケーブルテレビ局・大学・専門学校・化粧品・葬儀社・映画 etc